2021/05/30 20:13
刺しゅうをしてくれているヤオ族の女性が語ってくれた自分の人生のお話、3回目です。
K・Sさん 32歳
私はパヤオ県ムアン郡メーカー区メータムノイ村で生まれました。男2人、女2人の4人きょうだいで、私は3番目です。
私たちの家は木造の小さい家でしたが、家の中は温かく幸せな生活を送っていました。食べ物は、森で採れたものや、畑で作った野菜でしたが、父が狩りをして獲物が捕れた日は肉のごちそうがありました。子どものころは家族が多くても、自分たちの土地があり、その畑からの収入で生活に困ることはありませんでした。
13歳で村の小学校を卒業しました。と言っても、私は小さいころ学習障害があり、読み書きはできませんでした。今もできないので、子どもたちの宿題をみてやることができません。
15歳のとき、村の人の紹介で別の郡の男性と知り合い、しばらく付き合ったあと、男性側の両親が来て結納の儀式をしました。それから1年間はヤオ族の習慣に従って、家にいて婚礼衣装のための刺しゅうをしなければなりませんでした。私は刺しゅうができなかったため、苦労しました。何度も投げ出しそうになりました。母が一から教えてくれましたが、できるようになったのはクロスステッチだけで、それ以外は難しくて母にやってもらいました。だから今でも私はクロスステッチしかできません。
結婚後は夫の家があるパーデンラーン村で暮らしました。2年が経ち、私が17歳になったころから夫はだんだん仕事をしなくなり、酒を飲んでは私が浮気しているのではないかと疑うようになってきました。何度も暴力沙汰の大げんかになり、とうとう我慢できなくなった私は実家に戻りました。